退職ストーリー その3

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Rupture Conventionnelleは合意による雇用契約廃棄

これは見出し通りに退職時に雇用者と非雇用者が互いに合意の上でいわゆる「期限無き雇用契約」(=日本における正社員)を廃棄するというもので2008年に創設されたまだ新しい制度です。

その前は辞職または解雇あるいは定年による退職しか選択肢が無かったのです。

それで辞めたいサラリーマンは辞職するしかありませんでした。
この場合若干の已む無き理由による例外を除いて会社側からの補償金はもちろんのこと失業手当の対象にもなりませんので辞める場合は相当な決意、あるいは次の転職先を確保するしかありませんでした。

なんとなく辞めたいから辞める、ということにはそれまで節約して生活費を貯蓄しておくか、元々家がよほど裕福でお金の心配の必要がないというのでなければ不可能でした。

さてこの制度を簡単に説明するとまず雇用者または被雇用者がそれぞれ相手方にあたる方に退職の意思を打診するのです。
辞めたいサラリーマンであるなら自分側から会社に、人減らししたい企業の人事なら目をつけた従業員に、それぞれ退職について持ちかけ、双方の合意が成立すれば会社の住所の管轄役所へ承認の申請をし、承認されるとめでたく(??)退職が成立するものです。

会社側から持ちかける場合は日本で言う希望退職と似ていますがここで特別に感じられるのはサラリーマン側からの持ちかけも事情が許されるなら可能なことです。

ちなみに退職時には解雇の場合と同様に退職補償金として給与額勤続年数などをベースに法規に基づいて計算された額の一時金が会社側から支払われ、職業安定所へ出す書類も失業手当対象扱いとして作成してもらえるのです。一時金は会社との話し合いでそれ以上に上乗せされることもあります。

ただし業績好調で人減らしは特には必要なく該当の社員のレベルの代替人材がなかなか見つからないような場合はいくら辞めたくても合意にはなりませんね。

人が減って会社に喜んでもらえる事が見越せる場合は当たり前ですがサラリーマン側からの持ちかけでも成立します。

業績ガタ落ちの今がベストだったのです

私の場合がまさにそれに当たりました。辞める理由が一応「転居」というワガママでは無い理由だったのでこれから先のことも上司は考えてくれたのだろうと。
まさにホトケに出会った気分でした。

トップの人達は日本から来ている人達でフランスの法規については何も知らない素人ですので、この上司から制度の説明と『本人は辞めるかどうかは決めかねているので、目下の空前の不景気の際会社としても退職に同意してはどうか』、と提案を受け、それなら
出て行ってもらった方が、
とのハナシに落ち着いたようでした。

あまりホイホイOKになったのでこの時は本当は自分が不要品であったのだ、と思いました。忙しい時にはこき使っておいて何だろう、と馬鹿馬鹿しくもなりました・・・。

その後何とあのテロ事件が・・・・・

この制度、一応役所に出す書類に
「○月×日、第一回の会合を社員Aと直属の上司Xとの間で行った」
「▲月□日、第二回の詰めの会合を社員Aと何通り○番地にある社内で・・・」
云々と記録を残さないといけないのですがその事実記録を一応作って後は15日の冷却期間をおいて雇用者被雇用者双方に心変わりが無ければ役所に申請書を提出の運びになります。

その15日間が過ぎるのを待っている間、もちろん一般社員の皆にはまだ内緒になっているのですが、あの11月13日の金曜の晩、ネットを見ていると突然ツイッターで
「パリで15人犠牲」 「賊はカラコシニフ銃を持って逃走」 「劇場に人質多数」
などと日本語での緊急を告げるツイートが。

に・ほ・ん・ごでの情報が何と先でした!

慌ててBFMテレビというほとんどニュースだけ流している局にチャンネルを合わせると、
「11区でレストラン数軒が無差別テロ」
「バタクラン劇場でテロリストが多数を人質に立てこもり中」
とか現場映像付きで流していました。

ああ、またテロ。それも今回は一般人ばかり約130人もの犠牲者と多数の重傷者を出したのでした。
そのあくる日は先日の記事の通りになっています・・・。

その後さらにさらに悪化。私は英雄のごとく退職

さて週明けの16日の週から月末にかけてはキャンセルの処理に終われ、退職に伴う引継ぎ作業の見通しなど全く不可、と言うか引継ぎ担当者について何か決まっているのかどうかとうとう不明のまま、皆に
「来月の○日にお辞めになります」
などと紹介されてしまいました。

実際問題11月のテロが起きた後、新規客よりもキャンセル客数がダントツに多く、皆顔が引きつらせていたのです。そこに退職のご案内、えーっと言う声と自分も危ないかもと考えている顔との交差。もう社内の雰囲気<危ない>の一色でした。

本人の私はと言うと、理由を聞かれたら
「地方に引っ越すから」
としらっと明るく答えていましたけど。だけど後任は誰なのよ・・・・。引継ぎしなくていいのか~・・・。

後任問題については何にも知らせてもらえないうちに早くも退職7日前。
当然だけどとてもとても新規に人は雇えないのでとりあえず日本から派遣されてきた研修生の人に研修期間3ヶ月の間、任についてもらうとか、で急ごしらえの引継ぎレッスンをさせられることに。

「本当かよ」「その後どーするのか」「知らないぞ」
と内心つぶやき続け、とにかく記録を残しておこうとパソコン内に引継ぎマニュアルの束を残して最終日を迎えました。

この突然のさらなる業績陥落のおかげで社の上層部からは
「辞めてくれて本当に有難う」
との英雄扱いの無言の感謝のまなざしを持って送っていただけました、幸いかな、我が会社員生活の終焉。

*「退職ストーリー 番外編」もあります。
*前の記事は「退職ストーリー その2

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